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【アラベスク】  第18章 恋愛少女



第2節 休日の午後 [6]




「ミシュアルの姉や妹たちのダンナ様という線もあるけれど、やっぱり直系の息子が居るのならそちらに譲りたいと思うのが親心よね。国民も、第一皇子を差し置いて義理の兄や弟が王位に就くだなんて聞いたら首を捻るでしょうし、王室内に何か揉め事でもあるのかと不信に思うでしょうし」
「確かに」
「国民に余計な不安を与えないためにも、やっぱりここはミシュアルが王位に就くのが妥当なのかもしれない。そうなってくると、ルクマの存在が議論の焦点になってくる」
「どうしてですか?」
「ミシュアルが王位に就けば、その息子が次の王位継承者になる」
「あ」
 そうか。
「それが、今の最大の問題なのよ」
 メリエムは、瞳を閉じて溜息をついた。
「ミシュアルは、自分の退位後、王位をルクマへ継承する気はないと言っているわ。ラテフィルの法律上の問題や宗教上の問題を考えると、どっちみちルクマに王位を継承するのは無理だろうし、それ以前にミシュアルは、ルクマには王位やらなんやらといった煩わしい問題を背負い込ませたくはないとも思っているの」
 まだ王位にも就いていないのに退位後の事まで考えなくちゃならないなんて、大変だな。
「でも周囲は警戒している。ひょっとしたらミシュアルは後で気が変わって、ルクマに王位を継がせようとするのではないだろうか。王の権力を行使して法律も捻じ曲げてルクマを後継者にしてしまうのではないだろうか。遠い外国の女が産んだ子供など、信用できない。ラテフィルの王族には迎えられない。そう反発されているの。でもミシュアルは譲らない。自分が王位に就く時には、ルクマも一緒に王族として国民にその存在を知らしめる。王位に就けば、たとえその存在を非公式にしていたとしても、ルクマにはミシュアルの子供としての視線や危険がそれなりに付きまとう事にはなる。だったら存在を明らかにしても同じこと。それが無理なら王位は継がない」
「ミシュアルさん、強気ですね」
「父親なら誰だったそうだと思うわ。王位を継承させるかどうかは別にしても、自分の息子を周囲から隠してコソコソと育てるなんて嫌に決まってるわよ。なんとしても周囲には認めさせたい。愛する女性の子供を自分の子供として認めてもらえないなんて、そんなの悲しすぎるもの。それに、ハツコが亡くなってしまった今、ミシュアルはなんとしても自分の手でルクマを守りたいと思っているの。離れて暮らしていて苦労をさせた分ね」
「優しいお父さんですね」
「それも普通だとは思うけどね。まぁ、ミシュアルが優しいのは私もよく知っているわ」
 優しい過ぎて甘いくらい。本当に、仕事の時には冷たいと思うくらい容赦のない決断すらもしてしまうのに、ルクマの事となると途端に甘くなるんだから。
「でも、聞いていると、ラテフィルってのは結構排他的だし、瑠駆真を認めてもらうのって、すごく大変そう」
「えぇ、そうよ。とっても大変。でもミシュアルは負けない。周囲を説得し、とにかくはルクマを国王や王族関係者に紹介するというところまでは話を進める事ができたのよ」
「へぇ、すごい」
「でもそこでまた問題が起きてしまって」
「何ですか?」
「ルクマが、ラテフィルへは行かないとゴネているのよ」
「どうして?」
「ラテフィルへ行ったら、二度と日本へは戻れないと警戒している」
「戻れない?」
「えぇ、そうしたら、二度とミツルとも会えないって、ね」
「え?」
 全身が火照(ほて)るような錯覚に陥った。なぜだか気恥ずかしさを感じ、唇を尖らせてしまった。そんな表情に、メリエムは苦笑する。
「今のルクマにとっては、あなたが一番。あなたのいないラテフィルになど、何の魅力も感じないのよ。そこでようやく最初の話に戻るの」
 メリエムは少し身を乗り出す。
「ルクマと一緒に、ラテフィルへ来てもらえないかしら」
 そういう事なのか。
 ずいぶんと長い話だった。瑠駆真の母親の死にまで遡る、ラテフィルという行った事もない国の内政的事情にも絡んだ、実に非現実的なお話。
 納得はできるのだが、残念な事に現実だという実感が沸かない。
「でも、ラテフィルへ行く理由って、私には直接は何もありませんよね」
「そうね」
「瑠駆真が行きたがらないから、だから私をダシにして連れて行こうっていう魂胆ですよね」
「まぁ、そうなるわね」
「うーん」
 美鶴は右手を顎に当てた。
「それって、例えば一週間とかって、そんなカンジですか?」
「今考えている計画では、夏休みいっぱい」
「え? 夏休み?」
「えぇ、こちらの夏休みは一ヶ月と半月ほどだったかしら?」
「その間ずっとって事ですか?」
「そのつもり」
「そんなに長い間?」
「できるだけ多くの人にルクマを引き合わせたいのよ。でも王族の人々は皆忙しいから、全員に会わせるには時間もかかる」
「糖尿病になるくらい怠惰な生活をしているんじゃなかったんですか?」
「カジノやパーティーのために突然海外に飛んでっちゃったりするのよ。そういう事にだけはやたらと腰が軽いから。それに、みんながみんな、遊び呆けているというわけではないわ。ミシュアルのように寝る間も惜しんで世界中を飛び回りながら仕事をしている人だっていっぱいいるのよ」
「はぁ」
「ダメかしら?」
「えっと」
 どう答えればよいのだろう? 別に自分が損をするような提案ではないだろうが、でもいきなりラテフィルだなんてところへ一ヶ月以上も行くだなんて。
 スケールの大きさに慄いてしまう。
 そんな長期的な海外旅行を、はいわかりましただなんて、そう簡単に受ける事はできないよ。
 じゃあ、じっくり考えれば、受ける事もあり得る?
 それは。
 耳元で、甘く官能的な声が囁く。

「僕が、君を幸せにしてあげる」

 唐渓を辞めて、ラテフィルへ行こうと誘われた。
 日本を飛び出し、すべてのものを置き去りにしてラテフィルへ行こう。そこで幸せにしてあげる。
 もし私がラテフィル行きを承諾したら、瑠駆真はどう思うのだろうか? 瑠駆真の想いを受け入れたと、勘違いでもされてしまうのではないだろうか?
 瑠駆真は、ラテフィルへ行くのを拒んでいる。それは、行ったっきり帰ってこれなくなって、私と離れてしまうのが怖いから。
 じゃあもし私がラテフィルへ行って、それっきり日本へは帰ってこれなくなったら?
 霞流さんには、もう会えない。
 まさか、そんな。メリエムさんは夏休みの間だけだと言っているんだし。
 だが、美鶴の胸には不安が膨らむ。

「美鶴、君は男というものを少し(あなど)ってやしないか?」

 普段は穏やかな少年の瞳が、色気を帯びて熱っぽかった。

「僕はなんとしても、君をラテフィルへ連れて行く」

 昔のままだと詰る美鶴に圧し掛かりながら、瑠駆真はハッキリと決意した口調でそう言った。
 ラテフィルでは、誘拐などといった物騒な事も起こるらしい。
 もし私がラテフィルへ行き、そうして帰ろうとした時、瑠駆真はどうするのだろうか?
 瑠駆真は、日本に執着しているのではない。美鶴に焦がれているのだ。美鶴がラテフィルに居るのなら、もはや日本になど興味も無いのかもしれない。
 だが美鶴は違う。美鶴はきっと帰りたいと思う。霞流の居る日本へ帰りたいはずだ。
 そんな美鶴を、瑠駆真はどう思うだろうか?
 帰さない。
 耳元で囁かれたような気がした。背筋に悪寒を感じた。







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